高座は大切に
私は高座に上がるとき、高座の袖から出る時、「いらっしゃいませ〜!」と言いながら出ます。良し悪しはおいておきましても、 スイッチが入る感じがします。人間は動くもの聴こえるものに反応しますから、お客様の気を引こうとしてるのかもしれません。 発声練習にもなります。楽屋も静かで、、というか寝てた!居眠り?しているご年配の師匠が高座の敷居をまたいだ瞬間、 ぷあ〜と光が発せられたように見えたり、もはや後光です。高座というのは スペシャルな場所です。よく、武道のほうでは道場に礼をしたりしますが、ある師匠は高座に一礼してから上がります。 スペシャルな場所だから、スイッチが入る、一礼するのではなく、今までこの場所での出演者すべての履歴がそうさせている気がします。
以前、私の高座の後に一般の方がお出になって、帰りしな高座がとても汚れていた、ということがありました。小道具を使った高座でしたので 小道具から落ちたものでした。高座を掃除しながらなんともいえない気持ちでした。
前座のころ、寄席の高座を乾拭きするのが好きでした。 心強くなるんです。高座をきれいにすると高座が助けてくれる気がします。いろんなお客さんがいらしても、守られている気がします。 高座は大切にしましょう。 高座にかぎったことじゃなくて、場所や物を大切にしましょう。人にも丁寧に接することができそうです。


女性の落語
今まで立ち入り禁止区域というか、触れてはいけない話という気がずっとしていた問題です。 これから述べることは私個人の意見です。 女性の落語についての意見は千差万別、十人十色です。全否定派の意見は、落語という芸能自体が 男性用に作られたものであるから女性がやるのは「ありえない」。(それをいっちゃあおしまいよ)楽屋で大ベテランの 名人とも呼ばれる師匠がぼそっと「女がやるもんじゃない。」と言ったのを聞いて、ぞっとしました。 普段は楽屋の女性には特に優しい言葉をかけられる方だけに、悲しいというか表現し難い思いがしました。 ただ、私はまったく反論できません。しかし、女性の師匠方ががんがんウケている高座は、「なんか文句ありますか?」 とも思います。私はがんがんウケてないので反論できません。力がつくまでは何をいっても机上の空論、屁理屈でしかないのです。 今力の弱い私がこの「女性の落語」について意見するのもはなはだおこがましいですが、 入門して丸四年、今現在の気持ちを残しておこうと、そうさせて頂きます。 否定派の意見は差別ではないことはわかります。これは差別では?というのは、とある地方の 奥地の落語会の打ち上げで主催団体の一人の男性に、「やっぱさあ〜女の落語って無理あるよねえ〜」と言われまして、 「はあ〜そうですか〜じゃあ〜あんまりお聴きにならない方がいいかもしれませんね〜」と答えました。 これだけなら、人それぞれ「好み」があるんだ、古典が好きな人、漫談が好きな人、新作が好きな人、、そういう分け方で とらえることもできます。しかし、その後、その人に「お酌しろ」「俺と(チークダンスを)踊れ」と言われると これは差別では?と疑う、というか断定しました。打ち上げ会場はホステスのいるクラブで、その男性はホステスにも野暮な 態度をとっていました。この日のことは、大いに考えさせられました。この男性だけが特別か?その地方のその年代の男性に 少なからず、女は黙ってお酌してればいいんだ的考えが根付いているのでは?このことは時間が解決してくれるんだろうか。 そう信じたい。正直不快でした。でもそんなことが毎日ある訳じゃない、別に苦労でもない。ちょっと不快なだけでした。 後輩の女の子に落語家に入門したことを伝えた時「先輩は〜なに姫になるんですか?」と言われました。 テレビで林家きく姫師匠がレポーターをやっているのを知っていたようで、女性の落語家はみな「姫」が付くと 思ったようです。またギャルの同級生は「ちょ〜すごいじゃん!こうやってやるんでしょ」と言って扇子で頭を叩くまねを しました。落語界が男性ばっかりなんて知らないんです。きく姫師匠がテレビに出ているということは、 女性の落語家というのは結構いるんだ位のことを彼女らは思っているのです。ですから若い世代、昭和の名人、落研ブーム にかすりもしない世代はプレーンなのです。先入観がないんです。そんな人達にがんがん笑ってもらえたら それでいいんじゃないのかな。全否定派の方々をギャフンと言わせなくてもいいんじゃないのかな。 三つ子の魂百まで、先入観も簡単にはなくならない。でも、なくす程になりたい、、のかなあ。 男性の登場人物のセリフとはいえ汚い言い回しが女性の演者の口から発せられたら、いやかな。 どうだろうか?今は落語の展開に差しつかえなければ、語尾を代えたりしてやってます。このことばしかありえない! というどんぴしゃりな言葉はそのままにしてます。これは汚い言い回し以外でも言えることで、 体になじんでない言葉、言い慣れない言葉で差しつかえなければ代えます。 登場人物でも差しつかえなければ男女入れ替えてやってみる、というのも良いと思います。 しかし有名な落語だと、知っているお客さんは違和感がつきまとうこともあるかもしれません。 やはり脇役どまりにしておくつもりです。 このセリフは男の思想に基づく発言だね、というセリフ、行動は女性の登場人物が言ったりやったりするのは おかしいですからそういう時は代えるべきではないですよね。 実は今まで登場人物の性別を代えるというのはやってません。 どうしてかというと私が男の登場人物を「おかしくないようにしよう」と意識しすぎると かえっておかしくなるような気がして、意識しないで普通にやろう、と思っていましたし、 それが有効に働いた時もあったはずです。 しかし、いろいろ試すべきだと思います。 「登場人物が全員女にしちゃえ」って言う方もいますが、 「そりゃ大奥だね〜。」それも不自然じゃないですか?男も女もいて社会なんだし。 不自然じゃない所は、、、井戸端、お風呂やとか女性の集まる所の噺、作ればよいんですね。落語の言葉のテクニックがないと アイデアがあっても〜と尻込みしていましたが、推敲してもらえばいいじゃん。作るよ。決めました。
私はただ落語が好きでやっているんだ。いい事言った!と思ったら、「それを押し付けられたら迷惑だよ。」 という黒ぼたんが出現するのでした。
前進あるのみ!どうか長期的に見守ってください。 心からのお願いです。


読書感想文は誰のため
私は、ラジオで書店からお勧めの本を紹介するコーナーのレポーターをさせて頂いてます。先日は川口市の書 泉ブックドームから中継しました。店内には夏休み課題図書がならんでましたが、子供 たちはコミック売り場を賑わわせていたのでした。メインパーソナリティイの小西克哉さん は「どーして課題図書っておもしろくないのかねえ」とおっしゃっていましたが、やっぱり人 から押し付けられているような気がするからなのかなあ、とも思います。私は子供のころか ら読書が好きでしたが(完全なるインドア派でした。)図書館や書店で表装、タイトルなど直 感的に本を選んでいたように思います。今でもジャンルを問わず端から順にチェックして目 に留まったものを軽く立ち読みして購入するか決めます。これもある種の出会い、縁だと思 っています。
自分で選ぶ行為も大切だと思いますが、本、活字が苦手な人もいるから課題 図書があるんでしょうか。確か読書感想文コンクールには自分で選んだ本の部と課題図書 の部があった気がします。ここで、倍率というものが生じます。査定?というかなんでした っけ内申書っていうんですか、コンクールの入選はプラスポイントになるんですね。そうし ますと、ウケを狙う生徒さんがでるんです。笑わせようとするウケじゃなくて入選しやすい本 、入選しやすい感想。私はそういうのが大嫌いです。みんな命がけで親御さんの期待にそ うべく入選めざして、えんやこらさーだけど、それが本から離れる原因かもしれませんね。
好きな本を読もうよ!仕事じゃないんだから。漫画の方が好きでしょ本当は、 漫画は教育的にはNG要素が満載です、色恋、暴力とかね。私の大学の研究室の担当教 授はとにかく漫画を毛嫌いしてました、手塚治虫くらいならいいけどってあなたはそれ以外 の漫画を何冊読んだ?と、思いました(が口げんかでは負けてしまうので言えずじまいでし た。)タバコやお酒にしてもそうです。いけないと強く言われるとかえって気になってしまうん です。私は漫画から学ぶこともあるし娯楽でもあると思います。それは文芸書でも同じです。文芸書 でも好みに合わずただ読んだ、むしろ活字が体を通過しただけ、なんという本もあります。 その本が良い悪いではなく、合う合わないだと思います。そんな合わない文芸書を読んで感想文 を書く位なら胸にトーンときた漫画で書いた方がいいです。想像力を養うには活字だけの方が もちろんいいけど、自分で思う、そして言葉にして伝える、それが読書感想文の役目だと思います。
私の高校最後の読書感想文は伝える、というより主張になってました。人間がほぼ今現在の形になっ た、という感じです。読んだのは俵万智さんの「チョコレート革命」歌集で恋の歌が多い本です。 この時点でコンクール落選向きです。でも、そんなこと関係ないんです。私のその夏一番の一冊 でしたから。言葉は時代とともに変化する、美しい言葉などなくて発する人の心でで美しくも醜 くもなる、そして短歌のススメにまでいたりました。しかしながら、この感想文は校内のコンクールでは最優秀賞を頂戴 しました。県のコンクールではやはり落選しました、かわりに校内で準優秀 賞だったいわゆる「狙った」作文が入選しました。(校内で最優秀賞を選考するときこの作文と 意見が割れたそうです。)悔しくもなんともなかったです。私は極度の負けず 嫌いで我がままですが、この時は清清しい気持ちでした。私の主張がコンクールに合わなかった だけだと思いました。私はその夏誰よりも思い出に残る本に出会えたんだからね。
読書感想文を書かなくてはいけない生徒諸君、そうでない全てのみなさんが心に残る良書に出会えま すように!!祈ってます。(私のラジオレポートもその手助けになれますように)

私を形成した本、その一部
「永遠のジャック&ベティ」清水義範、「奴の小万と呼ばれた女」 「仲蔵狂乱」松井今朝子、「放課後の楽譜」山田詠美、「アムリタ」吉本ばなな


自分の大きさ
私の友人はシャツのサイズをことさら気にします。どんなに気に入った柄でも体に合わなければ購入 しません。オーダー以外のシャツは大抵寸法直しに出すそうです。最初はなにもそこまで、と 思いましたが、自分に合うものを選ぶというのはなかなかできそうでできないなあ、と思いました。 ことさらその友人がおしゃれに見え、うらやましくもなりました。自分に合う、つまりは自分を知るという ことでもあるといえそうです。
私は二ツ目になり原付二輪に乗ることが多くなりました。 これは、外見である実質の大きさを特に実感します。隣を大きなトラックが走れば、「ぶつかったら 即死だな」とか制限速度をこえそうになると負荷がかかり、体が投げ出される可能性を 体感します。四輪に乗っている時より強く、人間とはなんともろいものか!と感じます。 「立って半畳、寝て一畳、天下とっても二合半」という言葉があるように、そんなたいしたものじゃ ないんですね。みんな。卑下してるんじゃなくてですね。謙虚な心で過ごしたいなあと思う今日 この頃です。
内面を知るのはもっと難しいです。内面を知る方法がわかったらまた書きます。


女子力
先日、映画「リンダ・リンダ・リンダ」を観ました。無駄のないリアルな良き映画でした。主演のぺ・ドゥナちゃんが好きで 観に行ったというのもあります。「子猫をお願い」で見初めました。コケティッシュな魅力ある女優さんです。 この二本の映画はいわゆる「ガールズムービー」で、女子力全開です。(日本語が乱れてる?) 若々しい女性がイキイキとしている。っていうより女子力全開の方が適切に思えるのです。
よく落語界は男性社会で大変じゃありませんか?なんておっしゃってくださる方がいらっしゃいますが 、先人の女性芸人の皆様のおかげで差別されるようなことはあまりありません。(地方に仕事で行く と時々あからさまな言葉を投げられたりしますが)ただただありがたいです。ですから、これからは 、それぞれの良きところをいかしつつ、男だ女だというより人間として共生していく段階に入ることが できるのでは、と思います。しかしながら、一人暮らしでがんばっている女子、男尊女卑の国でがん ばっている女子の映画を観ると「わたくしもやらねばならねば!」と奮起するのでした。

好きなガールズムービー
「女はみんな生きている」「ベッカムに恋して」「下妻物語」 「魔女の宅急便」「花とアリス」